「AERA」5月14日号(朝日新聞社)の「がん恐怖症の健康な人たち」という記事を読んだ。自分ががんではないかという恐怖心は実は内面の苦しみからの逃避ではないかということが書かれてあった。それを読んだとき、ある女性のことを思い出した。20代の後半、私は肝臓を少し痛めて大阪の某病院に入院した。結果的に1ヶ月の入院生活を送ったのだが、私のベッドがある病室は6人部屋だった。入院当初は多少、ぐったりしていたが、私の快復力はめざましく、すぐに院内をウロついたり、同じ病室の患者とコミュニケーションをとるようになった。入院経験のある方はおわかりだと思うが、重病である場合をのぞいて、えてして入院生活はヒマである。最初は気の毒がって見舞いに来てくれた友人・知人もやがて来なくなる。そこでぼつぼつと私は患者の観察を始めた。同室のその女性は70才を過ぎていると思われたが、いつも薄化粧をしてこぎれいな感じだった。ある日、ふと目が合った私の側にそのAさんが近寄り、話しかけてきた。「お嬢ちゃん、お元気そうなのに、何のご病気なの?」私は簡単に病状を説明して、おきまりとして同じ質問をAさんに投げかけた。「私? 私はね、もうすぐ死ぬのよ」。Aさんはうつろな視線を返した。「もう、ダメなのよ。手遅れ。医者は隠しているけど、自分の病気のことは自分が一番よう知ってんねん」。うっすらと涙を浮かべて話すAさんにかける言葉はなかった。私はひどいことを聞いてしまったという罪悪感となんとも重苦しい気分で一晩、過ごしたのだが、翌日、私より先に入院していた隣のベッドのBさん(60歳代、女性)に、「私、まずいことを聞いてしまって・・」とAさんの件をうち明けた。「へ? ああAさんね」。Bさんはロビーで看護婦の目を盗んでタバコをふかしながら、「あの人、いつもああいうこと、言ってんねん。退院してはまた舞い戻ってくんねん。でも結構元気やで」と笑った。やせ細った身体にネグリジェとカーディガンをまとい、私に自分に死が近づいていることを話
したAさんの苦しみは、身体の病ではなく、心の病が言わせたことかもしれない。いろんな入院患者がいる、といことか。しかし、それをマに受けて「人生とは、何とはかないものよ」と多少感慨にふけっていた私も、ちょっとおめでたかった。
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